【身近にある老人への虐待】人事だと思っていた悲しい現実

こんにちは。

木更津のフィットネスインストラクター稲葉和美です。私のブログをご覧いただきありがとうございます。

今日は介護のこと。私の母についてのお話です。

普段のお仕事のような元気な話題ではありません。

重い内容はしんどいと思うあなたは、ここで読むのをやめてください。だって、これは悲しい現実なんです。

【身近にある老人への虐待】

1.母が入院

体調を崩して母が入院したと、札幌の妹から連絡があったのは4月のはじめのことでした。

持病はあったけど、マイペースでウォーキングをし、身の回りのことが自分でできていた母は、ずっと元気でいると私は思っていました。「私の母はいつまでも元気なんだ。」と。

ですから、妹からの連絡にただただ驚き、すぐに札幌に帰りました。電話の話だけでは母がどんな状況なのかが、よくわかりません。母の様子をこの目で確かめたかったのです。

実際に母に会うと、小さくなっていてびっくりしました。ひ孫のらむちゃんに10月に会ったときは、いつもの母でした。77歳の年相応な、私の知っているいつもの母です。でも、入院している母は、短期間で急に小さくなってしまっていて、私の知っている母ではありませんでした。そして、身体全体は小さくなっているのに、お腹だけがぽっこりしていました。お母さん、こんなにお腹出ていたっけ?気になりました。私の父は19年前に肺がんでなくなっています。父の末期がんのときの衰え具合によく似た状況。嫌な予感が頭をよぎります。でも、いやいやそんなことはない。嫌な思いを振り払います。

身体は小さくなっていても、頭ははっきりしていました。ボケてはいない。留守にしている家のことをすごく気にしていました。世間の社会事情も気になるようです。そこは安心しました。でも、筋力が衰えていて、誰かの手を借りないとベットから起き上がることができませんでした。これでは自宅には帰ることができません。母は一人暮らしです。同じ市内に私の妹が住んでいますが、妹の職場、甥の通学を考えると母と同居はできないという事情があります。

母にどうしてここまで筋力が衰えてしまったのか尋ねました。すると、昨年から、少しずづ身体の衰えを感じていたこと、私たちに迷惑をかけないようにしたくて、そのことを隠していたことなど話し始めました。湯船から上がれなくなり2時間も湯船につかっていたとか、何かの拍子で躓いて転んでしまい、しばらく起き上がれなかったことなど。びっくりするような事実がどんどん母の口からでてきました。

なんでその時言ってくれなかったの?口から出そうになりましたが、やめました。そんなことを言ってもしょうがない。今、起こっている事実は変えられませんからね。

筋力は落ちても、食欲はあるので、少し落ち着いたらリハビリをして筋力をつけて、自力で身体を動かす練習をするとのことでした。病院の雰囲気もいいし、看護師さんたちも優しくて、丁寧な対応をしてくれていました。母も少し入院してリハビリすれば自宅に戻れる。私はそう思い、安心して千葉に帰りました。

2、がんが見つかる

私が札幌から帰ってきて2.3日たって妹から連絡がありました。帰ってきてから何日もたっていないのに、連絡ごとが苦手な妹からの連絡は緊急事態です。

腹水がたまっているとのこと。私が、母のポッコリお腹が気になっていたのは気のせいではなかったようです。腹水っていい印象はありません。

なので、急に腹水が溜まってきているので、精密検査をしました。ここで母の体力のなさが致命的になります。大がかりな検査に耐えられる体力がないので、ある程度の検査しかできないのです。でも、がんが原因で腹水が溜まっています。ここははっきりしています。しかも余命1か月。この話を聞いて呆然としました。

3、ひ孫を連れて会いに行く

余命1か月の話を聞いて焦りました。子供たちにもその旨伝えます。おばあちゃんがそんなことになっているなんて、私の子供たちもびっくりして何も言えませんでした。

5月半ばにひ孫のラムちゃんも、一緒に札幌に帰りました。ラムちゃんのママ、私の娘も一緒です。考えたくないですが、これがひ孫のラムちゃんと会う最後の機会になるかもしれない。そう思ったからです。息子は私たちと時期をずらしていくことになりました。「みんなで行くと、帰った後が寂しくなるし、バラバラで行ったほうが、おばあちゃんも、誰かがいるから寂しくない。だから、俺は後から一人で行くよ。」そう言ってくれました。その言葉、息子の優しさに感動しました。

そんなこんなで、私と娘、ラムちゃんの3人で母の元へ。

母の病室は先月とは違い緩和ケアの病棟へ移っていました。4人部屋から個室へと変わっていました。

先月よりもさらに痩せています。でも思ったほど腹水は思ったほど溜まっていませんでした。弱弱しくなっていましたが、ラムちゃんに会って、母は嬉しそうでした。ひ孫効果絶大です。話す声も弱弱しいのですが、やはり頭ははっきりしていました。ここは安心です。母の話を聞くと、腹水は薬でコントロールできていて、以前より楽のなったとのことでした。持病からの下半身の痛みも薬が効いているときは楽、薬が切れると痛みがツライとのことでした。「生きているのがツライ」と言われたときは「何言ってるの?」と言葉がきつくなりましたが、一番つらいのは母です。優しく優しく。

母は、一人では動くことができないので、何か一つをするのにも、看護師さんを呼びます。些細なことでも嫌な顔一つせずに、母に対応してくれて本当にありがたいと思いました。

4、余命1か月を過ぎたら

母は持ち前の生命力で、余命1か月を過ぎました。母がお世話になっている病院の緩和ケアの病棟の使用期限は1か月でした。使用期限がとっくに過ぎているので、ほかの病院に転院することになりました。母の自宅近くの老人病院です。実は余命を過ぎると、悲しい現実が待っているんですね。

妹から●●日に転院すると連絡がありました。私は、千葉で何もできずに妹に頼ってばかりで申し訳ないと思っていました。でも、新しい病院も個室だそうで、少し安心しました。同室の方に気を使う必要がないからです。今月はいけないけど、7月は母に会いに行こう!そう思っていたのです。

5、悲しい現実

新しい病院の母の様子が気になって、妹と連絡を取りました。すると、とんでもない状態に!

転院して3日目のこと、母を介護してくれる担当の介護士が鬼だと、母が妹に話をしたのです。「この病院は、はっきり言ってつらい」と。自分で動けない母を車いすに移動させる際、乱暴に扱う、接しているときの対応が雑で面倒くさそうにされる、家族がいるときといない時では対応が違うなど。聞いていて悲しくなりました。母の話を聞いて妹はおばに相談すると、そういうことはよくある話で、入院できる病院があるだけましなんだという現実を知ったそうです。

ニュースなどで、介護士による患者への虐待は正直他人事だと思っていました。まさか、身内がそれに近い状態になるなんて。

これが世間でいう良くある話なのかもしれませんが、私は納得できません。母がお世話になっている病院に連絡をして、対応の改善をしていただきます。管轄の機関にも連絡を入れます。介護士の対応改善をしていただきます。マスコミの方に取材をしていただくのも一つの手段かもしれません。余命いくばくのない母が安心して過ごせるように動きます。他の病院を探して転院もありです。

そんなことを考えていた週末でした。最後の親孝行します。生きている人は大切にするんです。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

 

何かいい方法をお持ちの方は教えてください。よろしくお願いいたします。

 

 

 

 

 

 

 

 

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